創業明治12年の伝統
明治12年
四代目森小一郎が、天草陶石を現在の熊本県天草市から早岐港へ陸揚げし、現在の佐世保市三河内町江永へ馬車で運び、水車で陶石を砕く陶石工場で陶土を作り、窯で焼き上げる一連作業の窯場を始める。
明治12年 | 森小製陶所として窯元創業 |
明治27年5月14日 | 第三回全国製産品博覧会 弐等賞受賞 |
明治37年5月22日 | 内閣製産品評会朝鮮食器 弐等賞受賞 |
大正8年 | 森八製陶所(窯名 八右衛門窯)に名称変更 |
昭和16年~ | 森窯業株式会社(窯名 八右衛門窯)に名称変更 |
昭和18年~昭和20年 | 戦時中のため装飾品が製造中止となる |
昭和23年 | 水害で陶土工場の水車が流される |
昭和45年 | 現在の有田町へ移転後寒山窯に名称変更 |
昭和61年6月1日 | 有限会社 大慶(窯名 八右衛門窯) 製造販売会社として設立 |
平成6年6月15日 | 株式会社 大慶(窯名 八右衛門窯)に組織変更 |
平成12年~15年 | 直火用1人用「蒸出来なべ」研究開発 |
平成13年~16年 | IH炊飯器「炊っくん」研究開発 |
平成15年~ | 直火用1人用「蒸出来なべ」 販売 |
平成15年7月25日 | 「蒸出来なべ」が意匠登録審査委員会において肥前地区陶磁器 最優秀賞受賞 |
平成16年~ | IH炊飯器「炊っくん」販売 |
平成19年~ | 「ふっくら炊っくん」研究開発・販売 |
平成20年~ | IH対応2~3人用蒸出来なべ・IH対応鍋 研究開発・販売 |
平成21年~ | IH対応瓦陶板・「旨味UPタジン鍋」・「Only碗」研究開発 IH対応瓦陶板・「旨味UPタジン鍋」・「Only碗」販売 |
泉山磁石場(有田町)
日本で最初の磁器焼成に成功した場所
有田焼き窯元の期限
「陶器は人類と共にある」という言葉は今日でも真理とされています。
古今東西いずれの国を問わずまたその時代の新古の別なく幾千年以上の長い期間にわたって各民族は独自の焼き物を作って今日に及んでいます。
有田焼は秀吉の文禄慶長(一五九二〜一五九七年)の朝鮮の役一名焼き物戦争とまで呼ばれていますようにこの戦争の際平戸藩主松浦鎮信候が全羅南道熊川の陶工巨関陶六などの百二十人余りの者を伴って帰り佐賀県有田町に良土を発見しました。